当山に安置まします開運普賢大菩薩は、百済(今の韓国)の聖明王が霊夢をみられ、自ら模像なされたお姿であります。推古天皇の十年(602年ごろ)、百済の観勒法師がこの霊像を守護されつつ来日され、仏法興隆のお志が篤かった聖徳太子にお授けになりました。後に大覚大僧正はこの像を感得し祈祷の本尊とされ、大いに祖風を起して『開運の普賢大士』とお称えするようになりました。その後、百八代後水尾院の皇女林丘宮光子内親王はこの像を深く信仰され、御自分で金粉等を以て彩色されたということです。それから幾年月か流れて、下総(今の茨城)古河の城下に一時安置され、後の寛保二年(1742)に、当寺に祀られるようになりました。その時、蟻が土を運んで塔のように建て、供養のよそほいをしたという話は、衆人の知るところとなっております。このように、虫類が起塔供養する現象は、吉祥事のある兆しであるということはいろいろの人によって語られていますが、はたして、数年たたないうちに、本社拝殿の建立が成就し、霊験は日々に、ご威光は月々に新になり、信者で御利益をこうむった方は無数であったといわれています。
そもそも普賢大菩薩は、知水善浄国の教主をされ、智剛孔自在相辺如来という仏の授記を承け慈悲をかなえられること諸菩薩に勝れる菩薩であります。その昔、釈尊が霊山で法華経を説かれたことがありましたが、説法がすでに終わろうとした時、この大士が霊山へ参詣されいま一度法華経のご説法をお願いしたところ、釈尊は再び座につかれ法華経の要点を説かれたとのことです。このとき菩薩は歓喜の余り、自在神通の力を以て広く絶えることなく法華経を守護し、またこの世の多くの人々の安穏と守護を果すことをていねいに誓われました。釈尊がこれを聞いて殊更に深く感動されたのも、この大士が、このよごれた世を諸菩薩に負けぬよう菩薩の道を進むことを堅く誓われたことでした。そこで釈尊は更に、今より名を改めて、普くそして一切の菩薩に賢る普賢とされよと言われたということであります。
今、普賢菩薩は、当寺に鎮座ましまし、少しも本誓に違わず、大慈のみ声を出されては、六根清浄の大切な法をお教えになり、大慈のおすがたをめぐらされては、災惑を払い除けられ、開運の普賢大菩薩そして特に、辰年巳年の守り本尊として、所願成就を授けて下さいます。
どうぞ皆様も心をこめてご祈願ください。 |