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◎永代供養墓としての納骨堂。葬儀場は、フロアー別に葬儀可能な豪華葬儀場/東京墨田区春慶寺。

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春慶寺住職のお話し    
春慶寺住職
春慶寺住職 齋藤堯圓
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住職のお話し-2007年
 
春慶寺住職のお話し

病気であっても病人でない人            2008年12月

 皆様よい一年を送られましたでしょうか。『よい一年』、人によってとらえ方は色々でしょうが、多くの方は『健康』を第一に挙げられます。しかしながらお釈迦様のおっしゃるとおり、この世に病気にならないという人はいません。お釈迦様ご自身も最後はご病気になられ、肉体の苦しみを経て入滅なさいました。私は、この寺に来られる大勢の方とお会いして、『病気』とはなんだろうと考えさせられます。『こんなに具合が悪いのに、お医者様はなんともないとおっしゃるんです。』と、本当に苦しそうに訴える方がいます。一方、いつも笑顔でとても明るくお元気な方とじっくりお話をした時に、その方が大変重いご病気と現に戦っておられることを知ることもあります。どちらも『病気』をいただいているのですが、『病人』になる、ならないの差があるように私は思います。誰でも病気にはなりますが、病人にならない、ということはできないものでしょうか。難病の為に全く体の自由が利かない方が、素晴らしい詩を書いたり絵を描いたりしていることを知る時、この方は病気ではあるが病人ではないのだと思いました。余命僅かの宣告を受けた方が、その命の燃え尽きる最後まで『いのちの授業』を続けた本を読んだ時、やはりこの方も病気ではあるが病人ではなかったと思えてなりませんでした。
 ご病気あるいはご高齢でもお元気にしていらっしゃる方に共通するのは、『笑顔』であるようです。おかしくもないのに笑えるか、と言われそうですが、人間、楽しいことを考えると実際免疫力が上がるのだそうです。これはかなり権威のある医学雑誌にも載ったのだそうですので、本当のようです。笑うのには一銭のお金も要りませんし、誰かに月謝を払って習う必要もありませんから、どうでしょう、ちょっと試しに笑ってみませんか。

春慶寺住職のお話し

ミャンマーに行ってまいりました         2008年9月

 皆様とこの春慶寺は深い仏縁あって結ばれました。青森で生まれ大阪で学生時代を過ごした私が春慶寺第二十七世の住職として任命されたのは昭和五十八年ですので、すでに四半世紀、実に多くの出会いに恵まれてこの押上で過ごしてまいりました。春慶寺の朝は二階のお堂で仏飯を仏様にお供えすることから始まります。前日に真心をこめて用意した精進の煮物や和え物が本堂の冷蔵庫に入っています。五時には古代米や玄米の混じったご飯が三合ふっくらと炊き上がっています。御宝前におまつりしている仏、菩薩、歴代々のお上人、そして春慶寺処縁の一切の霊位、数えますと二十九箇所にお膳、ご飯、お酒やお水をお供えしています。各ご神仏にはご縁日が決まっており、十五日の水神様、十八日の観音様、十九日の龍神様、二十二日の菊壽(お稲荷)様、二十四日の普賢様、二十八日の鬼子母神様、およそ二ヶ月に一度めぐってくる甲子の大黒様、それから歴代上人のご命日にはさらに特別のお膳と供物をお供えします。約一時間のこの作務がすみますとお灯明をつけお線香を立てて読経を始めます。世界平和と日本の平和、檀信徒お一人お一人の安穏とご健勝を祈願したあと、春慶寺処縁の一切の霊に対する供養をいたします。毎朝七時にはすべてのシャッターを開け、表通りの普賢堂の読経も始まります。さらに四階本堂、二階観音堂、地下のえにしの苑と読経が続きます。毎朝七時、特にお彼岸の間、皆様もご自宅のお仏壇に手を合わせ私と共に祈りの時間を過ごされることを提案します。
さて、七月下旬からミャンマーに行ってまいりましたのでご報告します。行く先々多くの学校が全壊しておりましたので、慎重に検討し、最も被害の大きかったラプッタ近郊のザラックイン村の小学校再建に無憂花基金の一部を援助することとしました。戒律を厳しく守り瞑想に重きをおく小乗仏教は、日本に伝わった大乗仏教とは大きく考えが異なりはしますが、若い住職スワン・アー師が我々の『菩薩行』の考えに共感し、このたびの災害で親を失った子供たちの養育に力を尽くしてくれることになりました。これまでは全く考えられなかった女子の施設も尼僧たちに働きかけて実現に向け進み始めようとしています。明年一月にはザラックイン小学校の開校式が予定されています。地元の人々は春慶寺檀信徒の皆さんに大変感謝しておられます。交通の便も悪く悪路続きではありますが私とご一緒に行かれる方、募集中です。

春慶寺住職のお話し

災害に対しての支援について           2008年8月

 お盆の季節が間近になってまいりました。お盆は、肉体の衣をぬぎ捨て、お釈迦様が常に法を説いていらっしゃる霊山浄土に先に逝った愛するみ魂をお招きし、ご供養する仏事です。出来る範囲で結構ですので同封の挿絵をご参考に精霊棚を作り供物を供え花を手向け香を焚き経を誦し親しくお声を掛けて、ご供養のお気持ちを形に表して下さい。大切にご供養されたみ魂は必ず御守護霊として我々を見守って下さると私は信じます。『ご供養』は我々の御先祖がつちかってきた、世界に誇れる偉大な文化です。私は東京拘置所で罪を犯した人を導く教誨の仕事をしていますが、仲間のキリスト教の神父がこの供養文化をうらやましいと心からおっしゃいます。『モッタイナイ』と共に次の世代に、そして広く世界に伝えていこうではありませんか。
ミャンマーのサイクロン被害について仏縁のシェイン氏からの報告をお伝えします。皆様からお心を寄せていただいているパラヒタ孤児院のあるミャウンミャ市は奇跡的に大きな被害を免れましたが、人口四万の同市がエヤワディ管区の被災難民三万人近くを受け入れ、その衣食住を政府からの援助なしに市民ボランティアで支えている現状です。被害が少ないとはいえ百二十の学校がほぼ全壊し、再建の目途が立ちません。春慶寺では皆様からのご支援をもとに無憂花(むゆうげ)募金を立ち上げました。お釈迦様のお母様マヤ夫人が里帰りの途中立ち寄ったルンビニー園で陣痛を起こされた時、この無憂の木があたかもお産を手助けするかのように枝をさし伸ばし、右の脇腹より楽に釈尊が誕生したと仏伝に記されています。この木に咲く無憂花をミャンマーでは『悲しみを無くす花』として尊びます。シェイン氏が前回帰国した時には既に皆様から寄せられている中から千ドルと子供用衣類ダンボール二箱持参してもらいました。今回の千ドルは小学校の椅子と机に使ってもらうことにしましたが、今後の復興支援には息の長い活動が必要になってまいります。引き続きご支援よろしくお願い申し上げます。インターネットで『ミャンマーのタイムリー情報』を検索していただくと、シェイン氏の報告が掲載されていますので、ご覧下さい。
続いて起きた中国四川省の大地震について一言申し上げます。大正十二年九月一日に起きた関東大震災のときに、中国で仏教会の僧侶たちを中心にアジアの同胞日本を助けようという一大運動が起こり、沢山の基金と物資が日本に寄せられたこと、また十万の魂の慰霊の為中国様式の鐘楼が上海の王氏より東京市に寄贈され、現在も東京都慰霊堂境内の一角にその鐘楼が残っていることを皆様はご存知でしょうか。王氏の御子孫は今も毎年慰霊の鐘をつきに訪れています。私たちは今こそ中国四川の人々に恩返しをする時ではないでしょうか。仏教はインドで起こり中国・韓国を経て日本に伝わりました。日蓮聖人はこの三国への恩を忘れてはならない、将来この恩に報うのが日本の仏教者のつとめであるとおっしゃっています。わたしも一仏教者としてささやかながら被災者の方への援助に取り組んでまいります。
情けは人の為ならずと申します。困ったときはお互い様の気持ちをそれぞれが今よりもう少し広げると平和な住みよい世界になるはずです。   
南無妙法蓮華経

春慶寺住職のお話し

この美しい仏事の心を伝えていただきたい     2008年7月

 お盆の季節が間近になってまいりました。先に逝かれたご先祖、愛する家族がお家に戻ってくると信じて仏壇を掃除し、しつらえをして13日の夕方を待ちます。迎え火、盆踊り、送り火、都心ではすっかり見られなくなった風景ですが、どなたも切なく思い出されるのではないでしょうか。現在の住宅事情では精霊棚を作ることは難しいかもしれませんが、それぞれのお宅が無理なくできるようにで構わないのです。次の世代に、できれば幼い人達にこの美しい仏事の心を伝えていただきたいと願ってやみません。
 2年前、戦時中多くの日本人が命を落としたモンゴルに慰霊に行く機会に恵まれました。つい最近父が戦時中、ハルピンからソ満国境に通じる鉄道の警備にあたっていたことを聞かせてくれました。これまで私に戦争体験を語ることはほとんどありませんでしたので、子供の頃一緒に風呂に入った父の体に銃痕があったこと、夜度々うなされて飛び起きたりしていたことから、その過酷な体験を察するばかりでした。あまりに多くの犠牲をはらって、今日の安全で平和な日本があることを感謝しつつ慰霊供養の経を手向けてまいりました。かつて世界の大半を手中に収めたモンゴルも、中国とソ連に占領され、片や中国領内モンゴル自治区となり、片や国名はモンゴルと残りましたが、民族の文字も宗教も禁じられてラマ教寺院はことごとく破壊され多くの僧が処刑されたのだそうです。誕生、成人、結婚、死、人生の節目節目をラマ教の慣習に従って暮らしていた人々は、心の支えを失い長い年月を過ごしました。今ようやく自由を取り戻し、中国領にわずかに残った老人から縦書きのモンゴル文字を習い、チベットに修行に出かけながら、老人の記憶を頼りにラマ教の伝統的な習慣を復活しようと模索しています。日本は戦争に敗れましたが、信仰、文化、習慣を他国から奪われずにすんだのです。そのことを肝に銘じて、迎え火に火をともそうではありませんか。

春慶寺住職のお話し

提婆達多品(だいばだったほん)の供養      2008年6月

 私は毎朝春慶寺有縁の御霊に対して、法華経全28品(章)の第12番目『提婆達多品(だいばだったほん)』をあげてご供養しております。提婆達多とはお釈迦様のいとこにあたる方で、その優れた人格を慕って多くの弟子が集う立派な教団を指導していたのですが、何につけてもお釈迦様には一歩及ばず、次第に嫉妬に狂いお釈迦様の修行を妨害したばかりか、ついには狂った巨象を向けたり巨岩を崖の上から落としたりして尊い命までも狙うようになったのです。彼は自らの不注意で池にはまって亡くなり、仏に危害を加えた罪で無間地獄に落ちたとされていますが、お釈迦様は弟子たちに次のような話をされます。
 過去世のあるとき某国の王が正法(真理)を求めて国中を歩き回り、ついに阿私仙という仙人にめぐり合って、政を王子に託して出家されます。仙人のために木の実草の実を集めて食事の用意をし、薪を拾い、自身の体を椅子代わりに仙人の座っていただくなど身を尽くして給仕し、正法を体得していったのです。あるとき阿私仙はこの弟子がいずれは自分を超える魂であること、そればかりか来世仏となって世を救うということを悟りました。仏がこの世に出現するとき、その存在が歴史に深く刻まれるためには、キリストにユダが存在したように強烈な敵役が必要です。阿私仙は、愛弟子が成仏するために_自身が未来世無間地獄に落ちることを天命として覚悟されました。この仙人こそ今世の提婆達多であり、その時の王とは私だったのだよと語られるのを聞き、弟子たちは、二人の因縁のあまりの深さに声も出ませんでした。お釈迦様はさらに続けて、提婆達多が来世必ず仏となることを説き、その仏の名を明らかにされたのです。
 『この世で会う人皆仏の化身と思え』という言葉があります。誰にも必ず提婆達多は存在します。その因縁は人智では計り知れません。この因縁を省み、自己の魂の成長の糧としてあらゆる出会いを仏縁として感謝し、先祖への供養にいそしんでまいりたいと存じます。

春慶寺住職のお話し

「困った」時は「困った」と声に出してください  2008年5月

 先日日本人の平均寿命が発表されました。県別では女性は沖縄県、男性は長野県が最も長生きなのだそうです。日本人全体の平均は男性が78.79歳、女性が85.75歳です。女性は86歳のお誕生日を祝ってはじめて「ながいき」の仲間入りです。家族のあり方が変化して、お一人で暮らすご老人がとても多くなりました。介護保険制度も整ってはいますが、それでもお一人で困ったということが多くあると思います。そんな時あまり我慢したりがんばったりせず、「困った」と信号を出してください。東京は江戸しぐさ発祥の地です。お互い様の気持ちを今でも子孫の私たちは持っているはずです。公では地元に民生委員がいますし、役所に相談すれば、具体的にどこに問い合わせればよいか教えてもくれます。この春慶寺にも色々な悩みをご相談に見える方もいらっしゃいますし、お電話をいただくこともあります。私自身は日蓮宗東京東部電話相談室の相談員もしておりますので、どうかご遠慮なさらず、「困った」と声に出してください。
 昨年の4月から檀信徒の皆さんにお声をかけて月に一度開いているお食事の会、回を重ねるごとににぎやかになってきました。おかず屋さんもコンビニもあるこういうご時世ですからお一人でも食べることにさしてご不自由はないでしょうが、たまには大勢でしゃべったり笑ったりしながら作って食べるというのは、いいものです。毎回寺からのお知らせを読んで「いいなあ」と思ってはいても、なんだか気後れしてという方、思い切って参加してみませんか。『食事を楽しむ』ことが目的ですから、包丁を持ったことのない方でも大丈夫です。時に遠慮のない家内の「ああっ!まったく、もう!」という声がとどろきわたっていますが、どうぞお気になさらず。10月の回では、お近くの檀家さんと家内とで墨田区内を自転車で探し回って『むかご』を収穫してむかご飯を炊いたり大きな七輪に炭を熾してもうもうと煙を上げて秋刀魚を焼いたりしました。参加したい方はお電話でお問い合わせください。

春慶寺住職のお話し

平和で穏やかな日々が訪れますように       2008年4月

 昨年は心温まるニュースもたくさんありましたが、残念ながら、胸の痛くなるニュースが毎日新しく報道され、当事者でない限りその痛みに鈍感になってしまい、どんなに痛ましい事件もすぐに次の衝撃的な事件にかき消されて記憶にうずもれてしまっている有様です。
 昨年9月にミャンマーで起こった僧侶と民衆によるデモも、日本人ジャーナリストの方が兵に射殺されるという事件が起き、その瞬間の映像が繰り返し放送されましたが、報道されていたのはほんの10日ほどのことでしたでしょう。当山檀信徒の皆さんからお心を寄せていただき支援しているパラヒタ孤児院は事件のあったヤンゴンからは遠く離れていますので、直接の被害などはありませんが、大乗、小乗の違いこそあれ、同じ仏教を信仰する人々が武力で平和と自由を奪われていることに心が痛みます。「すべての人は輪廻転生を経て必ず仏になれる、この世で会う人は皆仏の化身と思え」、全宇宙の全存在を尊び互いに合掌して拝む、この法華経の精神が一日も早く全世界に行き渡ることを願って、毎朝の読経に励んでおります。
 このたび私は『墨田宗教者信徒平和の会』会長を仰せつかりました。仏教のみならずあらゆる宗教者、信徒の方たちと手を携え、関東大震災、東京大空襲で焦土となり数え切れない犠牲者を出したこの墨田区から、全世界に向けて平和を訴えてまいります。毎年3月10日、9月1日には、両国にある東京都慰霊堂で本所仏教会の諸上人と共に慰霊法要を行っております。年々ご遺族は減少しておりますが、私たちは犠牲者の方々に供養の誠を尽くし二度とこのようなことを繰り返さないと毎年新たに誓っております。直接のご遺族ではない方たちにも是非手を合わせにご来場いただきたいと願っています。

春慶寺住職のお話し

『お彼岸』の意味                2008年3月

 春秋のお彼岸が近づくと「お彼岸ていったい何?」と素朴な疑問を持つ人も多いと思います。煩悩だらけのこの世『此岸(しがん)』に対し『彼岸(ひがん)』はさとりを開いた仏の世界を指します。サンスクリット語で修行の完成を意味する『バーラミータ』が『波羅蜜(はらみつ)』と音訳され『到彼岸』と漢語訳されたのです。修行が完成して理想の境地の彼岸に到るという意味です。日本で仏教行事として行うようになったのは聖徳太子の頃です。中道(対立を超越した中正な道)を説かれたお釈迦様の教えを守り、昼夜の時間が同じになる春分秋分の日をはさんだ7日間、日常生活を反省して仏道に精進し、清らかな時間を過ごしましょう。『六波羅蜜(ろくはらみつ)』という言葉をお聞きになったことがあろうかと思いますが、人生の苦を克服する次の6つの道標を修行する一週間なのです。
 1日目 布施(ふせ) 他への親切行の奨励
 2日目 持戒(じかい) 自分の短所を知り戒める
 3日目 忍辱(にんにく) 現在の苦しみを我慢する心を養う
 4日目 精進(しょうじん) 自分の長所を知り啓発する
 5日目 智慧(ちえ) 体験によって因果の理を知る
 6日目 禅定(ぜんじょう) 所持万端に対し冷静に対処する
そして7日目、以上を総括して己に修める。この期間に、私という生命を生み出してくださった両親をはじめとする先祖に報恩感謝の心で寺やお墓にお参りします。
 人間常に『六波羅蜜』を実践することはかなわずとも、お彼岸のこの時期、偏りのない中道の精神、報恩感謝の心を持ってご先祖に感謝しつつ、心の修錬に励もうではありませんか。

春慶寺住職のお話し

お食事会に参加しませんか            2008年2月

 春慶寺にご縁の皆様の中で、ご高齢のお一人またはお二人で暮らしておいでの方がかなりいらっしゃるように思います。毎日の食事が外食がちであったり、偏ったり、一人で黙って召しあがるということが気になっています。そんな話をしている時に家内が月に一度ぐらいのペースでお食事会をしたいと言い出しました。少人数の家族で大根1本、蕪1把、ほうれん草1把を買うとすると、たいてい半分はだめにしてしまうそうです。主婦歴の長い女性の方はさまざまな料理の知恵をお持ちでしょうし、一人暮らしで大根1本買っても無駄なくおいしく食べられるような工夫を教えられたり教えたり、普段包丁をあまり持たない紳士諸氏も少しは手伝ったりしながら、楽しく作っておいしく食べるというのはどうでしょう。別にご高齢で一人暮らしでなくても、どなたが参加してくださってもかまいません。できれば若い青年やお嬢さんが手伝ってくださると最高ですね。車椅子の方も大歓迎です。家内がメニューを考えて準備しますが、だんだんと皆さんで相談してやっていきましょう。私もぜひ料理の腕前を上げて家族をアッと言わせたいと思っていますので、まずは私にあうエプロン探しからはじめようと考えています。わいわい楽しく作って、ゆっくりおしゃべりしながらいただいて、片付け終わるまでは禁酒禁煙にご協力下さい。必ずエプロンをご持参下さい。参加お申し込みお問い合わせはお電話でお願いします。

春慶寺住職のお話し

押上に日本一のタワーが建設されます       2008年1月

 平成の御代も明けて20年を数え、私がこの春慶寺に入寺して25年となります。江戸時代初期、元和元年(1615)浅草森田町(現在の蔵前、鳥越神社付近)に建立された春慶寺は、50年ほどで三代将軍家光の米蔵造営計画のためにこの地に移転してきました。おそらく当時この周辺は田畑のみ、百姓家でさえまばらであったことでしょう。
 それから200年ほど経った天保14年(1843)の地図を見ますと、周辺は農村であることに変わりありませんが、掘割が整備され、境内の東に現在の錦糸町駅北口に続く普賢通りができ、北は今の浅草通りの向こうを流れる北十間川に寺が面していたようです。天明期の浮世絵師勝川春潮の『押上村行楽』という作品には、華やかに着飾った船遊びの人々の姿の後ろ、北十間川のほとりに『押上村 普賢菩薩』と当山をあらわす石塔が描かれています。
 その北十間川をはさんで、2011年完成を目指して新しいタワーの建設が始まりました。先日、完成するタワーをレーザー光で夜空に浮かび上がらせるプロジェクトがあり、当山の屋上から見物させてもらいました。上半身を思い切り反らせてやっと天辺が見えるという、その高さと大きさは、想像をはるかに超えるもので圧倒されました。墨田区、東武鉄道、新タワー会社、地元の人々が知恵を出し合って、新しい街づくりの構想を練っています。パリのセーヌ川(私は行ったことはありませんが)のように、人々が仲睦まじくそぞろ歩きしたくなるような、そんな河畔の街になるように願っています。当山の玄関に『押上村行楽』のコピーと新タワーの完成図を飾ってありますので、ご来寺の折にご覧下さい。
 おりしも『オールウェイズ三丁目の夕日』という映画の第2作が公開されています。時代は移っても、新しい塔の下に、温かな人情のかよった日々が過ぎていくことを願って止みません。

 
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