住職のお話し

05)来月はお盆の季節となります

春慶寺住職

 お仏壇や神棚があるお宅は、どれくらいの割合でしょうか。家の中に手を合わせる場があるのと無いのと、人の暮らしはずいぶん違うように思えます。特に子供にとって、生命の意味を学ぶためにも、善悪の基準を知る上でも、手を合わせることは大切だと思います。『神様、仏様が見ていらっしゃる』と育てられた子供は、つらい時には『守られている』と安堵と自信を得、悪いことをしようとするときには、『そんなことをすると罰が当たる』と思いとどまる力を得ます。自分のいのちが、亡くなった多くの先祖のおかげで存在することを無意識のうちに悟り、他のいのちもまたそうであることを知るのです。家族や友に不幸な出来事が起きたとき、『どうか救ってあげてください』と一心に祈る気持ちもまた自然にわいてくるものでしょう。『祈る』とは、なんと美しい行いでしょう。
 早、来月はお盆です。私は昭和27年、青森の生まれですが、私が子供のころお盆は家にとって正月に次いで大切な行事でありました。13日の夕方には早くから風呂に入れてもらい、仕立て下ろしの浴衣を着せられて、迎え火を待ちました。仏壇はいつもとまったく様子が違い、笹竹に縄を渡して、季節の初生りの野菜やほおずきが美しく飾られていました。薄暗くなると、家族みなで門口に出て、きゅうりの馬茄子の牛を置いて火を焚きます。向こうを見ると隣もその隣もみな火を焚いていて、昼間泥だらけになって一緒に遊んだ友達がやはり真新しい浴衣を着せられて、少し緊張した顔でこちらをちらちら見ています。火が燃え尽きると、『今ご先祖様がみなこの背中にお乗りになったから斜めにしないように』と、牛馬を持って家の精霊棚まで運ぶ役目を初めて任されたときの誇らしさを、今も忘れません。精霊棚にお着きになると、母はすぐにお茶を入れて、あたかもお客様が見えたときのようにもてなしました。茄子ときゅうりを刻んだ水の実にミソハギの花を束ねたもので水をチョンチョンとかけるのが面白くて、お盆の間、日に何度も精霊棚の前に座って手を合わせたものです。14日15日と、三度三度の食事にはご先祖に精進のご馳走が用意され、生きている私たちもお相伴しました。親戚や近所の人が始終線香をあげに来ていて、ずっと昔に亡くなった先祖のだれかれの話をするのを耳にして育つうち、死者は私にとって身近なものになっていきました。送り火の晩は特別子供も遅くまで起きていることを許され、経験したことの無い暗さの中に、赤々と送り火が焚かれてご先祖を見送ると、あとは夢の中、翌朝目を覚ませば座敷や仏壇はいつものとおりに戻っていたのが不思議でした。
 今はあのころに比べると時間の流れがずいぶん早くなった様に思えます。あんなふうにお盆をすごすお家は少なくなりましたが、それぞれの家庭の状況に合わせて、やりやすい形にして結構です。無きご先祖を身近に迎えるという、ゆかしい心持は先の世代にぜひ伝えていきましょう。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan