住職のお話し

07)押上に日本一のタワーが建設されます

春慶寺住職

 平成の御代も明けて20年を数え、私がこの春慶寺に入寺して25年となります。江戸時代初期、元和元年(1615)浅草森田町(現在の蔵前、鳥越神社付近)に建立された春慶寺は、50年ほどで三代将軍家光の米蔵造営計画のためにこの地に移転してきました。おそらく当時この周辺は田畑のみ、百姓家でさえまばらであったことでしょう。
 それから200年ほど経った天保14年(1843)の地図を見ますと、周辺は農村であることに変わりありませんが、掘割が整備され、境内の東に現在の錦糸町駅北口に続く普賢通りができ、北は今の浅草通りの向こうを流れる北十間川に寺が面していたようです。天明期の浮世絵師勝川春潮の『押上村行楽』という作品には、華やかに着飾った船遊びの人々の姿の後ろ、北十間川のほとりに『押上村 普賢菩薩』と当山をあらわす石塔が描かれています。
 その北十間川をはさんで、2011年完成を目指して新しいタワーの建設が始まりました。先日、完成するタワーをレーザー光で夜空に浮かび上がらせるプロジェクトがあり、当山の屋上から見物させてもらいました。上半身を思い切り反らせてやっと天辺が見えるという、その高さと大きさは、想像をはるかに超えるもので圧倒されました。墨田区、東武鉄道、新タワー会社、地元の人々が知恵を出し合って、新しい街づくりの構想を練っています。パリのセーヌ川(私は行ったことはありませんが)のように、人々が仲睦まじくそぞろ歩きしたくなるような、そんな河畔の街になるように願っています。当山の玄関に『押上村行楽』のコピーと新タワーの完成図を飾ってありますので、ご来寺の折にご覧下さい。
 おりしも『オールウェイズ三丁目の夕日』という映画の第2作が公開されています。時代は移っても、新しい塔の下に、温かな人情のかよった日々が過ぎていくことを願って止みません。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan