住職のお話し

17)目には見えない縁

春慶寺住職

 私は寺の息子として生まれたわけではなく、まさしく目に見えない深い縁によって仏門に入ることになりました。お恥ずかしい話なのですが、私には精神的にとても荒れていた時期があります。中学三年生から高校にかけての頃で、今振り返ってみますといわゆるノイローゼというのでしょうか、母親に当り散らし暴力を振るうというひどい状態でした。医者に診てもらっても「簡単には治らない。」と言われるばかりで、母は私を殺して死のうとまで思いつめたそうです。
 その母の夢にある夜観音様が現れ、その夢に出てきたお姿の観音像を偶然街で見つけ、母がすがる思いでその像を買い求め手を合わせたことから、不思議な出来事が続けざまに起こりました。法華経をご自身のエネルギー源として人里離れたところで祈りの暮らしをなさっておられる尼僧さんとの出会いをいただき、私が病を得る因縁について教えていただきました。生まれ変わり死に変わりする中で実は私自身が今いただいている病の原因を作ったこと、そしてこの苦しみを経て過去世の罪が浄化され消えていくこと、この病のおかげで仏様の真の教えに出会えること、当時我家の宗旨は日蓮宗ではありませんでしたが、教えられたとおりに観音様の前で家族と共にお題目を唱える唱題行を続けるうち、私の病は氷が解けるように治っていました。
 また同じ頃、宮沢賢治の童話とも出会いました。法華経に命を賭けた賢治の世界に自然と引き込まれその生命観と宇宙観の素晴しさ、中でも『ひかりの素足』という、人間の生と死、そして生命の宇宙的広がりが凝縮された一編に心が震えるような感動を覚えました。皆さんがよくお使いになる三階客殿の壁にこの物語の最後の一節が美しい書体で掛けられています。これは賢治の弟清六さんのお孫さんと結婚なさった方が、ある方の供養の為にこの寺に寄贈してくださったものです。この書を書かれた方は私のことは何もご存じなく、この一節を選んだのですから、これも不思議な出会いの一つといえましょう。ぜひ皆さんにも読んでいただきたい作品です。
 何度も申しますが、世の中のこと全て仏縁であります。仏縁によって救われ生かされている命を互いに尊び、合掌礼拝を実生活に生かしてまいりましょう。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan