住職のお話し

30)辛卯の年も暮れて

春慶寺住職

 あまりに多くのつらい出来事のあった辛卯(かのとう)年が暮れようとしております。正月三が日のご祈祷の折、私は『辛卯年というのは過去六十年毎を振り返ると激震が走り大変化が起こる年です』とお話いたしました。しかしまさかあのような事が起こるとは思いもよりませんでした。三月二十ニ日の夜行バスに乗って仙台に着いた早朝、あの豊かな杜の都は灯も車も人通りも無く暗く静まり返っていました。自ら被災されている仙台仏教会のご僧侶との話し合い、遺体安置所、火葬場、若林区の浜辺での読経など、私に出来るごく僅かなご奉仕を丸二日間させていただき、また夜行バスに乗って戻って参りました。それから何度か仙台を往復し、四月二十八日、仙台孝勝寺で四十九日忌法要を無事に済ませることが叶いました。また前夜には『ひかりと祈りの集い』を執り行なうこともできました。数え切れないほど多くの人が力を尽くしてくれた事に、改めて感謝申し上げたいと思います。
 震災直後、その後の対策、復興事業という経過の中で国、自治体、東京電力などに対して多くの厳しい非難の声があがりました。被災された皆様の悲しみ、苦しみは言語を絶するものがあると存じます。しかしでは、あの時誰か他の者が代わってやったなら、皆が満足する方策が取れたのか、あれよりずっと良い環境を作れたのか、原子炉はあのような酷い状況を免れたのか、それは私には分かりません。筆舌に尽くしがたいあの状況の中で、一刻も早く被災された人を救おうと皆懸命だったではないか、数多くの人が幾日も幾日もほとんど寝ずに、ほんの僅かな情報を頼りに出来る限りのことをしたのではなかったか。悲しくつらい上に我慢の限界を超える暮らしを被災された方々がかろうじて今も耐えておられるのは、献身的に働く人々の姿を目にし、日本中、世界中が今も絶えず祈りの心を寄せてくれているからではないかと思います。被災者ではない者が他のやった仕事の不足を指摘し非難する事は簡単でした。しかしそんなことはもっと後でもよかったのではないかと、私は思っております。まだ助けを必要としている人は数え切れないほどおられるのですから、非難などはあとにして、ボランティアにもう一度取り組みませんか。震災直後から手柄争いのように我先に被災地に入ったボランティアの姿は、今はもうほとんどありません。『復興』はほんの数ヶ月の冷めやすい熱意では何一つ成し得ないのではないでしょうか。何年にも何十年にも亘る変わらぬ温情こそが求められていると思います。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan