住職のお話し

41)葬り方が随分と変わってきました

春慶寺住職

 葬儀、葬り方が、昭和の時代とは随分と変わってきました。家族が小さくなったことが主な原因でしょうが、たとえ人数は少なくとも死者を丁重に弔い葬ることに、省略形は無いだろうと思うのです。
 『家族葬』という言葉が定着しました。肉親のみで通夜葬儀を行い、隣近所やお付き合いのあった方にもお知らせをしないというやり方です。新聞や町内会の掲示板の訃報にも『葬儀は家族親族のみで執り行いました』という文言が増えてきました。昭和の時代、故人の子供たちの仕事先の方々あるいは学校時代のクラスメイト(故人のではなく成人した子供たちの)もご会葬くださり、会葬者の多くは故人を直接は知らない、などという事もよくありました。家族は大勢の会葬者の対応に追われ、しみじみと故人を偲びその死を悲しむ時間もないほどでした。家族葬はその反動かもしれませんね。
 こんな小さな国ですが、日本各地で葬儀の習慣、お墓の様子も随分違います。私の故郷青森では、亡くなって二十四時間経ちましたらなるべく早く火葬いたします。通夜はお骨になってからというのが当たり前です。東京と青森の中間仙台の親戚の時は、通夜の時はお棺のまま、翌朝早くに親族のみが火葬場へ行き、お骨になってからの告別式でした。お骨はどちらも骨壺へは納めずにお墓のカロートの中に直接まきます。通夜の時の飲食も身内だけというところも多いように思います。東京は『ご供養ですから』と、会葬の方々に飲食を勧めるのが一般的です。東京のお檀家様のお通夜の時に、故人が生前大変活動的であられたために相当な人数の会葬者がお見えになり、通夜振舞の場でだんだん話し声が大きくなりお酒も入ってあちらこちらで笑い声が起こり、遠来のご親戚が憤りのあまり席を立ってしまったということがありました。
 それぞれの地方のやり方がありましょうから、郷に入っては郷に従い、穏やかに心静かにご供養し、見送ることができるようにしたいものです。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan